白鵬・取り直しの一番に審判部批判!本当に白鵬だけが悪いのか?
皆さん!こんにちは。
こちらはモンゴル出身力士
関脇・逸ノ城を応援して
大相撲を盛り上げて行くブログです。
2015年初場所も東京開催としては18年ぶりとなります
終日の満員御礼の大盛況で幕を閉じました。
蓋を開けてみればやっぱり横綱・白鵬の圧勝で終わりました。
昭和の大横綱・大鵬の記録を抜いて
歴代最多となる幕内最高優勝33回を達成いたしました。
しかし、千秋楽明けの会見でまだ酔いが醒めていなかったとはいえ
痛烈な協会審判部への批判をぶち撒けてしまし、
又しても横綱の品格にそぐわぬ汚点を残してしまいました。
これにより相撲協会へは苦情の電話が鳴りやまず、
せっかくの幕内最高優勝33回の大記録も霞んでしまうほどの反感でした。
私がこの問題にどうこう意見できる立場ではありませんので
控えさせていただきますが、個人的な感想ということでお話しますと、
外国人に日本の美学を求めるのは難しいのかな?
とつくづく最近感じます。
多分この日もモンゴルからこられたご両親たちと
盛り上がっていたんだと思いますが
そうなればついつい日ごろのストレスも発散したくなりますよね。
私も大陸の方と接する機会が多くありまして
実際に向こうで少し暮らしたこともありますが
基本、思ったことを内に秘めるのが大変苦手な傾向にあります。
むしろ思いの丈を正直にぶつけあって
(傍から見ていると喧嘩しているようにしか見えませんが)
そのあとはお互い根に持たないというケースが多くあります。
それを、『口は慎み強くなれば尚更に謙虚であれ』
とする武士道精神はいやと言うほど聞かされていても
実行するには相当大変だと思われます。
でも少し触れましたが、
横綱は、神の依り代であることの証とされている
立場にあります。
ですから神事としての明治神宮での奉納土俵入りがあり、
震災復興祈願の土俵入りを行うのは、
その地を鎮める力があると信じられているからであります。
ですので昭和の大横綱・大鵬は引退の際に、
『横綱として一生懸命土俵を務めて人々の尊敬を受けることはできた。
でも、社会人としては少年時代の常識しか持ち合わせていない』
と語っておりますし、
昭和の角聖・双葉山が連勝を69で途絶えた時に
『我いまだ木鶏たりえず』という言葉を残していますし、
『勝負師は寡黙であれ』とも言っております。
ではこのような精神を本当に外国人力士が継承できるのでしょか?
私は出来ないと思います。
思ったことを口にしないと気が済まないとか
感情の高ぶりを制御できずについダメ押しをしてしまうとか
勝ち名乗りを受けて高々と懸賞を掲げて強さを誇示するなど
多分、外国であれば普通のことなんですが
相撲ではそれが許されないんですよね。
しかも白鵬は直そうという姿勢が微塵も感じられませんです。
多分、あまり重要視していないでは無いでしょか?
白鵬は昨年の九州場所での優勝インタビューで
『この国の魂と相撲の神様が認めてくれたので、この結果があると思う』
と述べていますし、
今回の初場所での優勝インタビューでも
『横綱として8年間地方巡業も含めて1日も休まずに来れたのは
神様が認めてくれた証です。』
と述べていますが、
白鵬の理解する相撲の神様とは
横綱としての力量を認めてくれている神様であって
決して”礼儀正しさ”と”謙虚”さを備えた品格の神ではないようです。
うがった見方をすればジンギスカンもなしえなかった元寇を
達成したモンゴルの英雄という意識があるのかも知れません。
そもそも騎馬民族である大陸力士に農耕民族の神観を理解するのは
相当大変なことだと感じます。
中国の三国志を読んでも分かりますように
1人の絶対的リーダーが侵略を重ねながら乱世を制定するストーリーばかりです。
一方、日本も戦国時代は有りましたが基本的には地に根ざしながら
共存共栄して生きてきた社会です。
そこで今回の突然の白鵬の反乱は
”殿中で刃傷に及んだ田舎侍”の様に写ってしまったのは私だけでしょうか?
(丁度本所も近いことですしね^^)
結局は力量はあっても品格を理解できない外国人力士と
品格はあっても力量が伴わない日本人力士の狭間で
日本人だけの組織を維持しようと躍起になっている協会が
”殿中で刃傷に及んだ田舎侍”的に解決しちゃったように写りましたね。
当然、審判は絶対ですから如何なる時も正規の方法以外に
抗議することができないのは当然です。
この一件で、尚更日本国籍取得と引退後の親方就任が遠のいた感じです。
もし仮にそうなったとしても協会は現役実績見合った処遇をするでしょうか?
かなり異論が出てきそうな感じがします。
開かれた相撲を目指すなら現在のような伏魔殿のイメージを一掃することが大事ですし
そうでないなら日本人と帰化した外国人のみの興行にしないと
今回のようなお互いの疎外感から来る事件が必ず又起こりますよ。
せっかく客足が戻ってきた矢先の悲しい出来事ですが
協会も白鵬だけに責任を押し付けず事の根本を考える良い機会ではないでしょか??
何だかだらだらと書いてしまいました。
私はシラフですけどね^^
<2015/02/27追記>
そして横綱・白鵬が2月27日に
自身のブログを1ヶ月ぶり位に更新しましたね。
そこにはやはり相撲協会への謝罪は無く、
モンゴルでの労働英雄勲章の授賞の報告やら
記念切手・書籍・TV出演の宣伝がメインであります。
そして、
逸ノ城・情熱大陸で横綱宣言!白鵬インタビューは帰化せず親方への布石?
でも書きましたが、今まで日本のそして相撲の偉大な父として
元横綱・大鵬をリスペクトしていたと思いきや
大鵬の記録を抜き去り本当の恩返しが出来たと言った舌の根が乾かない内に
もう次なる目標は「実父超え」を掲げています。
「オヤジが年1場所のモンゴル相撲で6回優勝している。
ですから(大相撲は年6場所なので6倍の)36回を目指して頑張りたい」
と『V36』と宣言!!
さらには「私が(2020年の)東京五輪まで頑張れば、親子で東京五輪の土俵に上がれる」
と夢を語っています。(父は64年東京五輪に出場)
(引用:スポーツ報知)
という具合に日本の相撲とモンゴル相撲を比較する事自体ナンセンスなのに
その父親の記録を強引にあてがっているところからして
心はやっぱりモンゴル人なのかな??と思わざるを得ませんね。
第68代横綱・朝青龍から4人連続でモンゴル出身横綱が続いています。
そして現時点でだれも帰化していません。
更にこれからも若手力士がドンドン上がってきそうな勢いですが
このまま朝青龍のように皆が帰化せずにモンゴルに帰ってしまったら
横綱出身の親方がいなくなるという非常事態に陥ってしまいます。
モンゴル出身力士は力量で横綱の地位を独占して
品格を重んじる日本人力士は大関止まり。
誰も帰化しないという挑戦状を相撲協会に突きつけたら
相撲協会は妥協案を提示してくるのではないかと駆け引きが
もう既に始っているように思えます。
とするとやはり今回の騒動も白鵬の帰化せず親方への布石か?
という事になるのではないでしょうかね。
だとしたらわざと協会を挑発して力を見せ付けている感が伺えます。
モンゴル人として今後も相撲協会に影響力を及ぼすのも良し。
それがダメならモンゴルに帰れば英雄ですから
怖いもの知らずの完全に強気の白鵬ではないでしょうか?
そしてやっと持ち直した相撲人気を牽引しているのも
やっぱりモンゴル出身力士たちですから
相撲協会もこれ以上の確執は避けたいのが本音でしょう。
玉虫色の解決により幕引きを図るためには
形式的にでも白鵬が謝辞する形を作るしかないのですが
そこで特例としての帰化せず親方のカードが切られるまで
引っ張り続けるかも知れませんね。
(スイマセン!とんだ妄想が膨らみました)
白鵬のコメントは気持ちはわかりますね。
やはり真剣勝負して、自分が勝ったと思ったけどやり直しはつらいものがあると思います。
そこをわかったうえで対応するのが現代の通常意識だと思いますが、相撲界独特の昔ながらの意識もあるので難しいかもしれないですね。
今日ちょうどセルジオ越後さんの辛口コメントする理由みたいなニュースみたんですが、海外のプロスポーツの意識の高さを痛感させられる内容でした。
プロだから、辛口。
プロだから、どこまでも本気。
白鵬も本気だからこそ、ちょっと辛いみたいなコメントだったと思うんですが、
そこは議論すべき点なのかもしれないですね。
個人的には相撲界が本気で旧来の伝統や美意識を守り続けて行くつもりであるならば、
本気で日本人横綱の育成を現場が一生懸命やっていき、かつての不祥事や部屋の廃止などを防ぐためにもっともっと商売度外視で死力すべきだと思います。
相撲は国技であるとして大切にされていますが、そこに甘えずに頑張ってほしいですね。
特に、
審判団や関係者も別に力士上がりでなくてもいいのだと思います。
プロ野球は若い審判も多数存在しますし、審判の中でも競争があります。
そういった感じで相撲界も年寄株がどうしたこうしたなんて、ぬるいつながりでやってないで何らからのかかわりで生涯現役くらいの気持ちで取り組んでほしいですね。
それくらいの意識改革をまず土俵内外でしていって、姿勢を見せてほしいです。
長文失礼いたしました。
I can think of a couple of recent games (S2#at&i8n17;s Row the Third, All Points Bulletin, and SW:TOR) that allow the player to create substantially heavy-set male characters, but female characters are are very much limited in the amount of heavy-set-ness they can be.