逸ノ城・関脇昇進パーティー開催!過去最速大関昇進・豊山について!

2014-12-14_103840皆さん!こんにちは。

こちらのブログでモンゴル出身力士

関脇・逸ノ城駿を応援して、

共に大相撲を盛り上げて行きましょう!

(出典:スポニチ)

逸ノ城の『関脇昇進を祝う会』を開催!

今月13日東京都内で大相撲・逸ノ城(湊部屋)

『関脇昇進を祝う会』(パーティー)が開催されました。

 

当初は幕内昇進を祝う会の予定で有りましたが

予想以上に出世が早く、急きょ『関脇昇進を祝う会』

となったそうです。

 

横綱・鶴竜など300人あまりが出席して、

幕下付け出しデビューから所要5場所での

昭和以降最速の関脇昇進を祝いました。
 

Sponsored Link

 

これまでの逸ノ城の記録をおさらいしておきますと

9月場所までは

  • 新入幕力士で2人の大関(稀勢の里・豪栄道)に連勝は昭和以降初めて。
  • 横綱・鶴竜を破り、新入幕金星は41年前の大錦以来。
  • 初土俵から5場所目での大関戦勝利及び横綱戦勝利は史上最速
  • 新入幕力士が横綱と二人の大関を倒したのは史上初である。
  • 新入幕でのダブル受賞(殊勲賞・敢闘賞)は2000年5月場所の栃乃花(敢闘、技能)以来。
  • 幕下付け出しデビューから所要5場所での初受賞は雅山と並び最速。
  • 新入幕で13勝をあげるのは最多タイ記録(1964年1月場所の北の冨士、1967年3月場所の陸奥嵐に並ぶ3人目)

となっておりまして更に九州場所では

  • 幕下付け出しデビューから所要5場所での新三役は、昭和以降最速。
  • 新入幕翌場所の新関脇は昭和以降初めて。
  • 十両の翌々場所で新関脇は、2001年1月場所の琴光喜以来昭和以降2人目。
  • 新関脇で勝ち越したのは2012年秋場所の妙義龍以来、
  • 新三役・新関脇での勝ち越しは1994年3月場所の 武双山 以来20年ぶりの記録。
  • 入幕2場所目で関脇昇進し勝ち越したのは史上初。(アスリートの魂より)

 

という具合の新記録を次々に樹立した1年となりました。

そんな逸ノ城の来年の抱負は

「もう一段、上に上がれるように頑張っていきたい」

と大関昇進を誓いました。

 

今年の漢字を聞かれると逸ノ城は『逸』

湊親方は『驚』を挙げました。

「自分のしこ名で、逸材の逸。大好きです」

「初めてのことばかりで驚いている。

来年は大関に上がれたらいい」(引用:産経新聞)

と説明をしています。

 

更に湊親方は15日から遠藤のいる追手風部屋へ出稽古させる方針を

発表しました。そして、24日の番付発表後から年明けには

白鵬のいるところに行かせたい」(引用:スポニチ)

と宮城野部屋への出稽古プランも発表しています。

 

これには私も大賛成です。

常々横綱を目指すなら横綱のいる部屋に

出稽古に赴かないといけないと申してまいりました。

2年後には『逸鵬時代???』が来ると確信している

一ファンとしてはドンドン白鵬の胸を借りるべきだと

考えております。

Sponsored Link

過去最速大関昇進・豊山について!

さて来年は史上最速の大関昇進の期待がかかる

逸ノ城でありますがこれまでの

過去最速の大関昇進の記録は

幕下付け出しデビューから所要12場所での

大関昇進を果たした豊山と雅山です。

 

更に新入幕から数えて最短の大関昇進は

大鵬:6場所 豊山:7場所

 

新三役昇進から最短の大関昇進は

大鵬・雅山:3場所、佐田の山:4場所

 

そして新関脇昇進から最短の大関昇進は

大鵬・豊山・北の湖・千代の富士・若ノ花・

雅山・琴欧州:2場所

となっております。

 

ただ現実的には7月場所・9月場所終了時点

デビューから所要10~11場所位で

大関昇進を決めてくれるのではないでしょうか?

そうすれば又新たな記録更新となりますね。

 

2014-12-14_135829(出典:相撲レファレンス)

豊山 勝男(ゆたかやま かつお)

1937年8月18日 生まれ。

新潟県新発田市出身で時津風部屋所属の元大関。

本名は、内田勝男(うちだ かつお)。

詳細はウィキペディアなどを参照ください。

 

母子家庭に育ち、苦学しながら文武両道に励みます。

東京農業大に進学して4年次には学生横綱となります。

その実績が認められて1961年3月場所に幕下10枚目格付出で

初土俵を踏みます。

その時の様子を紹介する映像です。(2:37頃~)

(出典:rinko1974)

 

新入幕から所要7場所で新三役・小結に昇進しますが

これは逸ノ城(所要5場所)が出現するまで

昭和以降、武双山と共に最速記録でした。

 

1963年3月場所には大学卒の力士として初めて大関に昇進し、

『インテリ大関』と呼ばれたそうです。

幕下付け出しデビューから所要12場所での

大関昇進となり雅山と並んでの最速記録となっています。

 

早い時期に横綱になり大鵬との

「“鵬豊時代”到来か」と期待されましたが、

結局幕内最高優勝はなく、

引退まで大関の地位を守りました。

 

大関在位は34場所

(大関在位数当時歴代1位、現在歴代9位)

なっています。

 

突っ張りが得意で当時やはり突っ張り得意な

佐田の山 との取り組みは人気を博しました。

 

1965年初場所千秋楽で共に大関として臨ん一番は

激しい突っ張りあいとなりましたが

佐田の山 が勝って優勝を決めて

そのまま第50代横綱に昇進しています。

(出典:SumoParis)

 逸ノ城については来場所先ずは2桁勝利を目指して

精進してほしいものです。

2014-10-07_190246

Sponsored Link

こちらの関連記事もどうぞ!


コメントを残す

サブコンテンツ

このページの先頭へ