大相撲の逸ノ城・鶴竜など!モンゴル出身幕内力士まとめ!
皆さん!こんにちは。
モンゴル出身の大相撲力士、
逸ノ城(いちのじょう)関を
応援するブログです。
逸ノ城だけではない第69横綱・白鵬や、
第70代横綱・日馬富士、第71代横綱・鶴竜
などモンゴル出身力士については、
そして本日は現在幕内~序二段で24名の
モンゴル力士がいる中で
幕内の10名の力士をご紹介します。
モンゴル出身幕内力士まとめ!
白鵬 翔(はくほう しょう)
(出典:日本相撲協会)
第69代横綱。29歳。
貴乃花、朝青龍とともに『平成の大横綱』の一人
幕内優勝35回は、第48代横綱・大鵬を抜いて単独1位の記録。
(横綱での優勝は32回です)
2007年2月に紗代子夫人(旧姓和田)と結婚。
長女:愛美羽(あみう)、長男;眞羽人(まはと)、次女:美羽沙(みうしゃ)
の5人家族です。
(出典:オリコンスタイル)
日馬富士 公平(はるまふじ こうへい)
(出典:日本相撲協会)
第70代横綱。30歳。
幕内優勝は7回(横綱での優勝は3回です)
現在は、法政大学大学院政策創造研究科に通う、
大学院生横綱でもあります。
2011年10月にモンゴル出身バトトール夫人と結婚。
2人の娘との4人家族です。
そして2015年九州場所で13年九州場所以来2年ぶりとなる
7回目の幕内最高優勝を飾りました。
(出典:スポーツ報知)
優勝争いをしていた日馬富士、白鵬、松鳳山の全てが
千秋楽で敗退するという大波乱の末、
1敗で単独トップだった日馬富士に優勝が転がり込んで来ました。
当然白鵬との優勝決定戦を覚悟していた日馬富士は
結びの一番で白鵬が鶴竜に破れでそのまま優勝が決まり
近くにいた報道陣に「俺、優勝だよな?」と確認する始末!
今場所優勝の大本命であった白鵬が終盤で3連敗と大失速し
優勝が転がり込んで来ました。
しかし13日目に自身で白鵬を倒し、
14日目には弟弟子の照ノ富士が白鵬に土を付けましたので
照ノ富士初優勝の際に日馬富士が白鵬を倒して
援護したように今回も伊勢ヶ濱部屋の強さと結束が
光る場所となりました。
この2年間は、左足首じん帯部分断裂、右眼窩(がんか)内壁骨折、
右肘の遊離軟骨手術をするなど怪我との戦いでした。
今年名古屋からの2場所連続を含め4場所で休場。
リハビリに専念する為、法大大学院も休学しています。
3横綱の内、最初に引退するのでは?
という悪い噂を払拭する貴重な復活優勝となりました^^
鶴竜 力三郎(かくりゅう りきさぶろう)
(出典:日本相撲協会)
第71代横綱。29歳。
幕内優勝は2回(横綱での優勝は1回です)
早く横綱としての優勝が望まれます。
大学教授一家の裕福な家庭に生まれ、
幼少時にはテニス・バスケットボール、レスリングにも励んだそうです。
昨年末の報道ですが、結婚することが判明。
お相手はウランバートル出身の大学生だった
ダシニャム・ムンフザヤさん(23)。
授かり婚、来年5月には第1子の誕生予定だそうです。
2015年5月29日に第1子となる長女を出産。
「アニルラン」と名付けた事を公表しました。
モンゴルの「(悪霊などが)つかないように」
という習わしから1カ月間、名前の公表を控えてきそうです。
(引用;日刊スポーツ)
照ノ富士 春雄(てるのふじ はるお)
(出典:日本相撲協会)
2015年初場所では東前頭2枚目です。
十両優勝1回です。23歳。
モンゴルにいた頃は横綱白鵬の父に柔道を習い、
逸ノ城と同じ鳥取城北高校に相撲留学。
高校3年の全国高等学校総合体育大会で、
団体メンバーの一人として優勝しています
個人戦の優勝はありません。
今年(平成26年)三月場所より幕内に昇進しています。
2015年の目標は『大関昇進』です。
逸ノ城とどちらが先に大関になるか注目です。
初場所2日目に大関・豪栄道を破自身二度目の銀星です。
(出典:合縁奇縁)
更に3日目には大関・稀勢の里を破り、連日の銀星です。
千秋楽、東前頭九枚目 ・玉鷲を破って勝ち越しを決め、
初の3賞・敢闘賞を受賞しました。
(出典:スポーツ報知)
そして2015年3月場所の番付発表で
初土俵から所要23場所で関脇となりました。
これは白鵬の24場所を上回る歴代9位(年6場所制となった58年以降)のスピード出世で
「まずは勝ち越して、2桁を目指したい。大関狙って頑張ります」と
意気込みを語っています。
逸ノ城についても「誰が先に大関になるかが大事」
とライバル意識を見せています。楽しみな二人です。
(出典:読売新聞)
そして2015年夏場所において遂に幕内最高優勝を果しました。
(出典:合縁奇縁)
(出典:MyJetSetLife)
(出典:時事通信)
初土俵から所要25場所での幕内最高優勝は
歴代5位の成績です。
関脇での優勝は2000年初場所での武双山以来
15年ぶりのことです。
この優勝により、大関昇進が確実となりました。
「三役で直近3場所33勝」が大関昇進の目安とされますが
「白鵬を抑えて優勝した」という重みが評価されました。
初土俵から所要25場所での大関昇進は
琴欧州、朝青龍に次ぐ歴代3位のスピード記録。
(幕下付け出しを除く)
三役経験2場所での大関昇進は
1951年夏場所が新大関だった吉葉山(元横綱)以来、
6場所制では初となる快挙です。
『白鵬一強時代の終焉』と考えて間違いないでしょう!
力士としてのピークを過ぎた白鵬に
モンゴルの若手力士である照ノ富士や逸ノ城が台頭し
その牙城をついに壊しました。
そして、5月27日の日本相撲協会の理事会で
照ノ富士の大関昇進が正式に決定しました。
伊勢ケ浜部屋で行われた昇進伝達式の口上では、
師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)の横綱昇進時と同じ
『心技体の充実』の言葉を用い、
『さらに上目指して精進する』と伝え、
横綱昇進を次なる目標として宣言しました。
このままの勢いだと年内横綱も見えてきますね^^
(出典:KYODO NEWS 【共同通信社】)
(出典:サンケイスポーツ)
荒鷲 毅(あらわし つよし)
(出典:日本相撲協会)
2015年初場所では、西前頭12枚目です。
優勝なしです。28歳。
2003年(平成15年)に東 序ノ口 32枚目でデビュー
今年(平成26年)の五月場所から
幕内昇進を果たしています。
玉鷲 一朗(たまわし いちろう)
(出典:日本相撲協会)
2015年初場所では、東前頭9枚目です。
十両優勝1回、幕下優勝1回です。
30歳。
2004年(平成16年)西 序ノ口 28枚目でデビュー。
2008年(平成20年)新入幕を果たしています。
しかしその後定着できず
十両との間を行き来しています。
2年前に元モデルのエルデネビレさんと結婚していたことを披露
夫人は春日山部屋所属で幕下の高春日の実姉だそうです。
(出典:日刊スポーツ)
モンゴル相撲を経験したエリートが顔をそろえるモンゴル出身力士の中では圧倒的に経歴が異色です。
本格的なスポーツ経験はないまま、ホテルで働くことを夢見て母国の食料技術大に入学。
1年半ほど料理や経営などを学んでいたが“2人の存在”が人生を変えます。
当時から体が大きく「今しかできないことをした方がいいのでは」と力士への思いも芽生えていた。
その頃、東大大学院に留学中だった1歳年上の姉・ムンフゾロさんを頼って03年に来日。
姉とともに両国を散歩していると、井筒部屋を通りかかった。
外から稽古場をのぞいていると、既に入門していた鶴竜に声を掛けられて入門への橋渡しをしてもらったといいます。
(引用:スポニチアネックス)
そして2015年3月場所の番付発表で新小結となったの玉鷲は
所要66場所での昇進で、三役となった外国出身力士で最も遅いが
「(三役まで)長いとも思うし、短いとも思う。大関、横綱と当たるので、できれば倒したい」
と意欲を語っています。
(出典:日刊スポーツ)
2015年5月18日、大相撲夏場所9日目。
横綱・日馬富士を突き落として3勝目を挙げ、
入門以来初めての金星を獲得しました。
30歳6カ月での初金星は外国出身力士としては最も遅い記録です。
貴ノ岩義司(たかのいわ よしもり)
(出典:日本相撲協会)
2015年初場所では、西十両4枚目です。
十両優勝1回、三段目優勝1回です。
24歳。
鳥取城北高校の石浦監督がモンゴルで行った選抜テストに合格し、
16歳で日本に相撲留学しました。
2007年の国体少年個人でベスト4、
2008年の世界ジュニア選手権で準優勝を果たします。
2008年11月、少年時代に憧れだった貴乃花が師匠の貴乃花部屋へ入門します。
旭秀鵬 滉規(きょくしゅうほう こうき)
(出典:日本相撲協会)
2015年初場所では、東前頭12枚目です。
十両優勝1回、序二段優勝1回。
26歳。
父は運送会社の元社長、母は元教師。
首都ウランバートルの中心部に住み、
3人きょうだいの姉が軍の病院医師、
兄は日本の防衛大に留学して、現在は大統領警護官。
何不自由ない生活を過ごす。
2004年に岐阜第一高等学校に柔道留学。
高校在学中に留学中であった兄と旭天鵬が巡業で知り合い、
相撲未経験ではあるが旭天鵬の紹介で
大島部屋に入門を果たします。
鏡桜 南二(かがみおう なんじ)
(出典:日本相撲協会)
2015年初場所では、西前頭15枚目、帰り入幕です。
モンゴルではバスケットボール、ブフ(モンゴル相撲)、
レスリングを経験しています。13歳の頃に、
モンゴル時代はバスケットボールの強豪選手だった
白鵬が大相撲へ勧誘されて日本へわたったことを知り、
日本の相撲への憧れを抱きます。
2003年に旭鷲山の紹介で実業団の名門の摂津倉庫で稽古を積み、
鏡山部屋に入門し、2003年7月場所で初土俵を踏んでいます。
四股名には鏡山部屋の名から「鏡」を貰い、
下の名である南二は、本名のナンジッダからきています。
青狼 武士(せいろう たけし)
(出典:日本相撲協会)
父親はブフ(モンゴル相撲)の元関脇で
1980年モスクワ五輪に柔道選手として出場。
元横綱・朝青龍(ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジ氏)がその素質を見込み、
錣山親方(元関脇・寺尾)がモンゴルまで足を運んでスカウトしました。
2005年名古屋場所で初土俵を踏みましたが
体重が100kgにも満たない軽量であり、故障にも泣いて
ようやく11年目の今年2015年名古屋場所で
新入幕を果しました。(東前頭十五枚目)
顔が元横綱朝青龍にそっくりだと言われてましたが
最近は逸ノ城にも似ているとの声も出ていまが
本人はあまり嬉しくないようです。
逸ノ城 駿(いちのじょう たかし)
こちらは、生い立ちからの記事を
下のバーナーの中にまとめてあります。↓↓↓↓
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その他の力士も随時追記していきます。